「ウズベキスタン協会とウズベキスタンの強い結びつき」~ハイライト編~

タシケント「日本人抑留者資料館」スルタノフ館長と一行

今回は、会員の布施 知子さんからの寄稿文を紹介します。布施さんは公益財団法人アジア学生文化協会 常務理事として長年、アジアからの留学生への日本語教育等の支援に携わられていらっしゃいます。

非常に明るいお人柄で、さまざまな方々と楽しく交流されており、初のウズベキスタンを堪能されている姿が非常に印象的でした。

今回、ウズベキスタンの魅力を盛り込んだ濃密な旅行記を送付いただきましたので、二回に分けてお届けします。

以下、布施 知子さんの文章「ハイライト編」をご紹介します。

布施知子さん

日本ウズベキスタン協会設立20周年記念「ウズベキスタン周遊8日間の旅」には、いくつかの偶然が重なり参加できた。動機は未知の土地への好奇心と、深層的憧れのシルクロードのオアシスの街や世界遺産となっているサマルカンド、ヒヴァを訪ねてみたいということ。もう一つ付け加えると、私の長年の仕事とも関係する、最近急増しているウズベキスタンからの留学生の国情を知る機会になればとの軽い気持ちだった。

しかし、この中央アジア・ウズベキスタンの旅は、思いがけず濃密な学習の旅となった。旅には真っ白のキャンバスで出かけたが、旅を終える頃にはキャンバスには埋まりきれないほどの下絵が出来上がり、この後どのように描き上げてゆくのか、思案せねばならない。

日本ウズベキスタン協会の活動については、これまで部分的にしか知り得ていなかった。今回の旅で、嶌会長の20年にわたるウズベキスタンとの関わりと貢献、また川端理事長のウズベキスタンにおける調査・研究と社会貢献等を知る機会を得、それに裏付けられた旅先での日々出会った様々なサプライズに、協会とウズベキスタンとの強い結びつきを知るよい機会となった。

今回の濃密な旅を振り返ってみたい。

日本人墓地入口にて墓守のミラキルさんと一行

~ハイライト~

その1
一般に敗戦後のロシアによる日本人捕虜のシベリア抑留の話はよく知られている。しかし、かなりの数の捕虜が中央アジアに連れて行かれ、ウズベキスタンで劇場の建設、発電所の建設等に携わった部隊もいたということについてはこれまでほとんど知られていない。二日目に訪れた日本人墓地(きれいに整い桜の木が植えられた墓地は、ウズベキスタンの親子が代々墓守をしている)や、墓地に隣接する日本人捕虜の記録を地道に調べ、日本人抑留者資料館として公開されているスルタノフ館長の展示資料や説明と『ヒイラギ』という日本人抑留者の記録ビデオを見て、これまで知らなかった多くのことを知り、学ぶことができた。

「ナボイ劇場」内部 細部にわたる彫刻が見所の一つ

その2
そして、日本人捕虜457名によってつくられたタシケントの代表的な建造物となっているナボイ劇場(ロシアの4大劇場の一つ)を訪れた。全て見学できる予定が手違いで外観のみの見学と言われ、嶌会長の粘り強い交渉で館長の案内で内部の見学もさせてもらうことができた。劇場の内部を見ることなしに、この劇場の素晴らしさを語ることができぬほど細部にわたり細かい細工が施された歴史的建造物であった。1966年にタシケントを襲った直下多型大地震で街のほとんどの建物が崩壊した中、無傷で救護所に使われたというこの美しく堅牢な建物への関心が集まり、これの建設に携わった日本人への関心と尊敬が高まったという。

カラカルパクスタン共和国の漁村「ムイナク」にある「船の墓場」

その3
限られた時間の中でウズベキスタンの東に位置する首都タシケントから西にある自治協和国・カラカルパクスタン共和国に移動し、アラル海の環境公害の実態に触れて来た。かつて漁村であった「船の墓場」には、数台の漁船が乗り捨てられ並んでおり、その向こうには荒涼とした荒野が地平線まで続いていた。旧ソ連時代の計画経済政策による大規模な綿花栽培の展開によりアラル海の水が無くなり、現在の海面は元の1/10ほどになっている。生態系がすっかり変わり、移住を余儀なくされた漁民も多い。20世紀最大の環境破壊と言われている。

タシケント「国立歴史博物館」に展示されている1966年大地震発生時刻で止まった時計

その4
広大なユーラシア大陸の重要な拠点(通り道)にあったこの国の悠久な歴史を知る手掛かりとなったタシケントの「国立歴史博物館」、サマルカンドの「アフラシャブ博物館」の見学。そして、ムナイクの「アラル海歴史博物館」、ヌクスの「サヴィツキー美術館(考古学者の収集品、民族芸術)」の見学。

サマルカンド「レギスタン広場」のプロジェクションマッピングのティムール

その5
街全体が世界遺産のヒヴァのインチャカラの観光、世界遺産のサマルカンドの観光(シャーヒジンダ廟、グーリアミール廟、レギスタン広場、ビビハニムモスク等)とレギスタン広場でのプロジェクションマッピングによるサマルカンドの壮大な歴史物語の鑑賞。

20周年記念パーティーでウズベクダンサーと共に

その6
タシケントの協会創立20周年記念パーティーで日本大使をはじめとした在タシケントの日本人及び元日本留学生との交流会(with民族舞踊)、日本センターでのタシケントの日本語学習者との交流会。

ジャパンセンターで日本語を学ぶ生徒と交流

その7
タシケントのチョルスバザール見学、ヒヴァの城内にある東京農工大の支援するウズベキスタンの女性の自立支援のお店「Cocoon(コクーン)」の見学と買い物、タシケントのアートバザールの見学と買い物、サマルカンドのショブバザール見学・買い物、スーパーでの買い物。

中央アジア最大のバザール タシケント「チョルスーバザール」

その8
日々の食事:朝のホテルの朝食、昼食、夜の食事。

タシケントからサマルカンドに向かう特急列車「アフラシャブ号」で配布された軽食

その9
乗り物:タシケント→サマルカンドの特急列車「アフラシャブ号」乗車、タシケント→ヒバ、ヌクス&ウルゲンチ→タシケントの国内便の利用、また予想以上に快適な(新しい)観光バスでの移動。(但し、タシケントで前評判のよかった地下鉄乗車と駅の見学ができなかったのは残念!)

タシケント市内の地下鉄「ユヌサバード線」のアブドゥッラ・カディリー駅構内

その10
旅で目に残る風景はやはり日本にないものばかり。地平線までずっと平らな荒野、そこにこの時期咲くピンクの花が美しかった。草もない砂漠と小高い丘、あちらこちらで沿道から見た延々と広がる綿畑、牛と羊の放牧、世界遺産のモスク、廟、神学校、巨大なバザール、家を取り巻くポプラ、背の高い桑の木、・・・

また、この国は雨が少なく乾燥しているせいか、大都市でさえすえた匂いや悪臭がない清潔感のあふれるところとの印象をもった。

バスの車窓から見えた荒野

まだまだ、記憶に残る様々なこと、ものが浮かぶが、この辺でストップしておく。ただ、今回は日々盛りだくさんのスケジュールで、かつメモも取らなかったため、不正確な記憶も多々あると思っている。おかしなところ、誤りなどはご指摘いただけばありがたい^^

なお、今回の現地での訪問先は、川端先生の現地でのご経験の中から厳選してくださったものも多いのではと感謝。また、様々なサプライズは、嶌会長、川端理事長のウズベキスタンに対する長年の貢献による賜で、参加者は数々の大変貴重な経験をさせていただいたこと、改めて感謝いたす次第です。

「サプライズ編」は以下を参照下さい。

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