NPO法人日本ウズベキスタン協会とは

NPO日本ウズベキスタン協会は1997年11月25日に設立し、2000年12月に内閣府の認証を受けNPO法人へ移行し、22年あまり、ウズベキスタン共和国と日本の架け橋として友好関係を築いてきました。

会長を務めるジャーナリストの嶌信彦がウズベキスタンと関りを持ったのは、元大蔵省財務官でその後アジア開発銀行総裁となった故千野忠雄ちの ただお氏より「嶌君、メディアの力でもう少しウズベキスタンのことを世の中に知らせてよ。日本をモデルにしたウズベキスタン独立(1991年)後の国づくりは、明治維新の時の日本と日本人を見るようで感動させるものがある。ぜひ一度訪れて日本人に日本との関係や懸命に国を建設している人々のことを新聞やテレビで報道してほしい」と依頼されたことがきっかけでした。

そこで、嶌はTBSの『報道特集』に話を持ち込み、スタッフと共にドキュメンタリーを作ることになりました。嶌が実際に現地に足を運び、取材の過程で知ったのが、ウズベキスタンの首都タシケント市にある壮麗なオペラハウス『ナボイ劇場』の存在と、その劇場建設に終戦時に満州から連行された日本人捕虜が携わったという事実でした。

96年12月1日の『報道特集』で『知られざる親日国ウズベキスタン』としてその事実が報じられ、放送後、多くの方よりTBSや嶌の事務所にご意見や問い合わせをいただきました。中でも、ウズベキスタンで実際に抑留生活を送られている方々から、再度放送を見たいと熱望される声が多く、喫茶店のようなところを貸し切り、改めて上映した次第です。再上映を見ようと集まられた方の中には、実際に『ナボイ劇場』建設に携わられた方の戦友会『第四ラーゲル会』の方々も多数おられ、その後ウズベキスタン協会を設立する足がかりとなりました。

当時、日本政府はウズベキスタンが独立した91年12 月にいち早く国として承認し、翌92年1月に外交関係が樹立、93年1月に首都タシケントに大使館を開設しました。外交面では、日本の積極的な ODA 供与も背景となって両国関係は円滑に進展し、94年5月にカリモフ大統領の訪日が実現して以来、政治・経済の分野での日本との人的交流が活発になっていました。

ウズベキスタンが独立して以来、30~40 代の若い閣僚、官僚、ビジネスリーダー達が国づくりに励み、我が国の明治維新や戦後復興に学ぼうと、日本をもっと知りたがっている熱気が肌で感じられ、ウズベキスタンの中枢にいる人たちが日本に熱い思いを寄せている実情が伝わっていました。そこで、民間で両国の人的交流を密にする機関を首都・東京に設立すべきだ、との声が強くなっていたことも追い風となりウズベキスタン協会を設立の流れにつながりました。

設立に際し、独立直後のウズベキスタン再建に尽力された日本政府の初代大使の孫崎享氏や外務省の担当部局、ODA の活用で経済の活性化に尽くされた故千野忠雄氏など、同国に深い関係をお持ちの方々から的確な助言を頂き、さらに駐日ウズベキスタン大使館からも多大なご協力を得ました。また、この間には、終戦直後にウズベキスタンのアングレンやチュアマに抑留された多くの元日本兵の方々にもご尽力いただいております。

入会方法や活動に関する詳細はホームページを参照ください。
http://www.japan-uzbek.org/

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