念願のウズベキスタン・タシケントの『日本人抑留者資料館』

タシケント市『日本人抑留者資料館』にてスルタノフ氏の説明を熱心に耳を傾ける参加者

今回は、栗原 喜紀さんからの寄稿文を紹介します。栗原さんは、お父様がタシケントに抑留されており、前回ウズベキスタンに来た時に詳しいことがわからなかったため、今回『日本人抑留者資料館』でお父様の足跡が少しでも把握できればと参加くださいました。

旅行が好きで様々なところを訪問され、これまで訪れた国の中で一番良かったのはエジプトと教えて頂き、非常にうらやましく思いました。

以下、栗原 喜紀さんの文章をご紹介します。

栗原喜紀さん

私の父は、タシケントに抑留をされていたため、時々協会のホームページを見させていただいて今回の旅行を知り、参加させていただきました。

父は奉天電信54連隊で停戦、20年11月にタシケント第二収容所着、23年7月舞鶴に引揚げました。

念願であった日本人抑留者資料館では館長から展示品の第二収容所の電線工場の写真と関連書類を教えてもらいました。残念ながら詳しい場所は持参した地図の範囲外でわかりませんでした。母は父から建造物の仕事をしていたと聞いていました。タシケントの建造物といえば、ナボイ劇場しか知らなかったので、父も従事をしたとおぼろげに思っていました。嶌信彦氏の著書で第四収容所が担当とあったのと、舞鶴引揚記念館のウズベキスタン抑留展などで抑留者が建造した多くの建物があることを知りました。いつか確認したいと思います。

『日本人抑留者資料館』正面入口にて

しかしながら、個人での情報収集は限界があります。日本ではどこの博物館でもホームページがありますが、抑留資料館のホームページが未だないのは非常に残念です。ぜひ、何らかの方法でホームページの立ち上げを希望します。

5年前の訪問時には、ナボイ劇場は工事中で塀に囲まれ全体の美しさが見られず、レギスタン広場の中庭も工事中で入れなかったのですが、今回は、劇場の中まで入れ、広場ではプロジェクションマッピングを満喫できてヒヴァにも行けて満足できました。

『ナボイ劇場』内部

アラル海が干上がっている惨状は今回、初めて知りましたが、一般的にあまり周知されてないのではないでしょうか。自然は簡単に破壊されてしまい、環境問題を引き起こすものと実感できました。

アラル海の変遷や歴史が把握できる博物館

ウズベキスタンの経済発展は、タシケントの美しい街でありながら整備がされており、実感しました。しかしながら在留日本人がわずか120名ということで、貢献すべきことはもっとあるのではないでしょうか。商社の駐在員が、フェラガナ地方はインフラがないので商売にならないと言っていましたが、最前線でこのような意見をもっているのでは多くの日本語を学んでいるウズベキスタンの青年の期待に応えられるか心配です。また、ノリコ学校に中国企業から出資の提案があるということですが、借金漬けと一帯一路に飲み込まれる危惧を感じました。

20周年記念パーティにてNORIKO(のりこ)学級のガニシエル校長(右から二番目)と

参加されたみなさまの知的レベルが高くご高齢でありながら第一線で活躍されており、旅行の楽しみだけでなくいろいろと勉強になり、参加させていただきありがとうございました。

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