ウズベキスタン紀行 ~74年を経た抑留者の想いと共に~ 

「ナボイ劇場」正面

今回は、永田 立夫さんからの寄稿文を紹介します。永田さんは、『ナボイ劇場』建設に携わられ隊長を務められた永田行夫さんのご子息です。これまでずっとウズベキスタンを訪問されたいという願いをもっていらっしゃいましたが、なかなか叶わず今回やっと念願が叶い非常に喜ばれていらっしゃいました。

特に『日本人墓地』と『ナボイ劇場』を訪問された際、非常に感慨深く墓碑のお名前や劇場を隅々までご覧になられ、感動されていらっしゃる姿が印象的でした。

以下、永田 立夫さんの寄稿文をご紹介します。

永田 立夫さん

2019年9月、日本ウズベキスタン協会設立20周年記念旅行に参加し、念願のウズベキスタンを訪ねる機会に恵まれました。8日間の行程に詰め込まれた訪問先は、どこをとってもハイライトといえる魅力にあふれる旅でした。今回、その中のいくつかを紹介します。

ウズベキスタン航空 HY528便

9月6日成田空港からウズベキスタン航空にて一路、首都タシケントを目指し飛び立ちました。初めて利用する航空会社で、出発ゲートに入ったときは、まだ現地からの機体が到着しておらず、少し不安でしたが到着後素早く出発準備も整い、定時制は守られているなぁと私の仕事柄(※)、気になり、まずは感心。フライトは快適でした。
(※)永田さんは航空業界で働かれています。

■タシケント観光
タシケント到着翌日は、市内観光に出発。一番に訪ねたかった『日本人墓地』、『抑留者資料館』、そして『ナボイ劇場』を巡ることができました。『日本人墓地(ヤッカサライ墓地) 』には、抑留者としてこの地で2年間過ごした父と同じ収容所で過ごし、逝去された長尾清さんと野村浅一さんのお名前を墓碑で見つけ、手を合わせることができました。お二人のことを父から生前聞いていましたので、非常に感慨深かったです。

永田さんとミラキルさん

そして、墓地の近くにある『日本人抑留者資料館』に移動。当時の数々の資料を収集・管理し私費で資料館を運営されている館長のジャリル・スルタノフさんにお会いし、資料館の中を案内いただきました。綺麗に整理し展示されている、当時の手紙、絵、食器、鍋などから、強制労働の中余った資材を工夫して利用していた様が見て取れました。また、一緒に働いていたウズベキスタンの人達からパンや果物を差し入れてもらったお礼にと日本人捕虜が造ったおもちゃや、ゆりかごなども当時のまま残っており、そこからウズベク人との交流も垣間見ることができました。スルタノフさんをはじめ、親子3代に渡り墓守をしてくださっているミラキルさんご一家にも大変感謝しております。

ナボイ劇場をユリア館長の案内で見学

その後、最も訪問を楽しみにしていた『ナボイ劇場』に到着。これまで何度もTVや本で紹介されていたものの、実際にこの場所に立ち、触れてみたいと強く思っていた場所でした。戦争終了後、日本に帰国できると信じながら、見ず知らずの地に連れてこられ、2年余りこの劇場の建築に携わった方々の想いを、戦争を知らない世代である自分が見て、感じることで、自分の中でもやもやしていた何かが晴れたような気がしました。

『ナボイ劇場』舞台でのバレエの練習風景

幸運にも、『ナボイ劇場』のユリア館長自ら案内と説明をして下さいました。劇場内部にも入ることができ、さらに閉館時は入ることができない客席からバレエの練習をする風景を見ることができたのは貴重な経験でした。この劇場入り口の柱の見事さ、内部の装飾の荘厳なことと緻密さ、どれをとっても72年前に完成した当時と遜色なく残っているように思えました。劇場中央の巨大なシャンデリアを見て、生前父が「このシャンデリアの取り付けは、みんなで滑車を使って持ち上げて取り付けた一大イベントだった」と話していたことを思い出し、感慨に浸っていた時に、嶌会長から「どうですか、実際に来て、見てみた感想は?」と声をかけられましたが、言葉にすることができず思わず声を詰まらせてしまいました。

ナボイ劇場天井のシャンデリア

まだ20代そこそこの若者たちが、食事もままならない過酷な環境の中で強制的に働かされた時代を考えると、なんて私たちは平和で幸せな人生を送っているのだろう、そして現地で亡くなられた抑留者の方たちが、大都会となったこの街を見たらなんと言うのだろうと改めて感じる一日でした。

アラル海「船の墓場」

■水のなくなったアラル海
タシケントから飛行機で1000kmほど西にあるヌクスに到着。一泊し、そこからバスで砂漠の中をひた走りムナイク地域を目指しました。この地域はかつて世界で4番目の面積を誇る『アラル海』の沿岸で漁業が盛んだったところだそうです。また、昔は兵士を運ぶ船の往来も盛んだったようですが、今はカザフスタン側の治水の影響により水が涸れ、地平線まで見渡せる荒涼とした風景に一変していました。

ここに満々と水を湛えた巨大な湖があったとは、想像もつきません。かつての湖底であったところには錆びついた多くの漁船が取り残され、『船の墓場』と呼ばれています。この風景は確かに見ものではありましたが、わずか数十年もの間にこれだけの環境を破壊してしまう、人間の恐ろしさも同時に感じます。そんな中でも、砂漠に防砂のためサクサウールや赤い花の咲くタマリスクという植物が植えられ、環境に適応する植物の生命力にも驚かされました。

この地で長年にわたり、環境問題に携わられている川端先生、医療問題に携わられている千葉先生のお話も道中、伺うことができ、単なる観光とは異なるとてもユニークな旅となりました。なかなか辿りつくことは難しいようですが、機会があれば水のある所まで行ってみたいものです。

■世界遺産の街『サマルカンド』
ヌクスからヒヴァにバスで移動し、『イチャンカラ遺跡』を見物。さらにウルゲンチから飛行機で深夜にタシケントに戻るという目まぐるしい旅程を経て、翌早朝には特急列車『アフラシャブ号』でサマルカンドに向かいました。この列車はスペイン製のタルゴで、いかにもヨーロッパらしい洗練されたデザインの列車です。

アフラシャブ号

『サマルカンド・・・』この響きはいかにもシルクロードの街という感じがしました。好天に恵まれ、いわゆるサマルカンドブルーがよく似合う一日となりました。ここでの観光の目玉は何といっても『レギスタン広場』。広大な広場の周りはメドレセと呼ばれる神学校やミナレットで囲まれており、ブルーのタイルで装飾された中央アジア独特の幾何学模様の建物が目を惹きます。晴れ渡った青空と相まって、今まで見たことのない鮮やかな色に目を奪われました。また、メドレセの内部は外から想像もつかない世界で、金色で統一された荘厳なドームや壁に囲まれていました。

今回、昼のみならず、夜のレギスタン広場も堪能することができました。夜はプロジェクションマッピングを楽しむことができ、大音量の音楽とともにこの国の壮大な歴史がメドレセに投影されました。国の英雄でもある『ティムール』が登場すると観衆から拍手喝采や歓声が浴びせられていました。広場内の特別な席で鑑賞することができ、とても有意義な日となりました。

レギスタン広場でのプロジェクションマッピング 中央がティムール

■この国の文化と食事情・お会いした方々
ウズベキスタンは多くの遺跡が残るロマン溢れる国であると同時に、都会では開発が進み、旧ソ連時代の古い建物は新しい近代的な建物に生まれ変わっています。平均年齢も若く、これからも発展してゆくことだろうと思います。最終日に訪ねた日本センターでは学生たちと会話する機会もあり、多くの若い人たちが夢を持ち、国の発展のために役立ちたいと考えていることがよくわかりました。

チャイハナ(茶屋)

街のところどころにはチャイハナ(茶屋のようなもの)があり、古き良き習慣も残っているようです。私は残念ながらチャイハナで男たちがお茶をしているところには出くわすことがなく、そのチャンスはありませんでしたが、旅のメンバーの中には誘われお茶を飲んだ方もいたようです。

食事は「動物性の油を多く使っているため、お腹を壊すよ・・・」と言われ気を付けていたものの見事に壊してしまい、最後まで満足のいく食事を摂ることができませんでしたが、全ての料理が美味しかったです。特に、プロフが本当に美味しく、体調が許せば際限なく食べてしまったと思います。そのほか、シャシュリク、ラグマンなど魅力ある料理も豊富です。

チョルス―バザールのノン

『チョルスーバザール』などにある食材も豊富で、日本では見かけたことのない果物や野菜、カラフルな香辛料、ドライフルーツなどがありました。特筆すべきは、試食した焼き立ての『ノン』の美味さです。『ノン』は、中央に模様の入ったウズベキスタンのパンで、その美味しさに驚きました。

私はお酒を飲みませんが、ワインはレベルが高いようで、ご一緒した方々の多くが飲まれていたので、ついお土産に買ってしまいました。

アートバザール

人の優しさに触れることができたエピソードも紹介します。
タシケントのアートバザールでは蜂蜜が売られていて、多くの種類がありました。何の花の蜂蜜か知りたかったのですが、販売していたお母さんはロシア語しかできず、意思疎通ができず苦労していました。すると、若い女性がスッと来て通訳をしてくれました。おかげで希望のアカシアの蜂蜜を購入することが叶い、大変ありがたかったです。

2日目の懇親パーティでは着任されたばかりの在ウズベキスタン藤山大使や今までネットを通じての会話しかできなかった『NORIKO(のりこ)学級』のガニシェル校長、現地で活躍されている日本企業の方々など、多くの方とお会いし、話ができたことも私にとっては貴重な体験でした。

『NORIKO(のりこ)学級』のガニシェル校長

今回、旅を共にした現地ガイドのドストンさん、添乗員の遠藤さんを含む28名のメンバーと初めて会った方々も含めすぐに打ち解け、非常に仲良くなり、気持ちよくご一緒することができました。皆、全行程を無事に過ごせたことが何よりでした。本当にありがとうございました。

『ナボイ劇場』プレート前で

最後に嶌会長、川端先生のお力添えで、行く先々で特別な歓迎や出迎えを受け、パトカーの先導で私たちのバスが走るという初体験、食事の席ではそれぞれの地域で伝統的な歌と踊りを堪能することができたことに深く感謝いたします。

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